y歴史ある古寺古塔z別所温泉の地が「信州の学海」といわれるほどの仏教・学問の中心地になったのはやはり温泉のご利益といえるでしょう。
国宝級の遺構が数多く残る別所温泉の歴史を、ぶらり愉しみましょう。

信州の鎌倉をそぞろ歩き

別所温泉の地が「信州の学海」といわれるほどの仏教・学問の中心地になったのはやはり温泉のご利益といえるでしょう。
国宝級の遺構が数多く残る別所温泉の歴史をぶらり愉しみましょう。

常楽寺

天台教学の拠点 常楽寺

天台教学の拠点 常楽寺

比叡山延暦寺座主の円仁慈覚大師により、別所三楽寺のひとつとして建立されたのが始まりです。北向観音をお守りする寺で、今は天台宗の別格本山となっています。
鎌倉時代に「信州の学海」と呼ばれていた別所温泉ですが、この常楽寺もその頃、宗教・学問を勉強する場でありました。安楽寺の開山樵谷惟仙もこの常楽寺で仏教の教えを学んだという記録があります。
本堂は茅葺き、寄棟造りで正面中央に向拝(こうはい)の突き出たどっしりとした建物です。この向拝の頂点と本堂の大棟の中心がずれていますが、これは首を傾けて仏教の教えを学ぶ姿勢を表しているそうです。

観音出現の霊場 石造多宝塔

観音出現の霊場 石造多宝塔

常楽寺では多宝塔が信仰の中心でした。昔、大きな火柱といっしょに観音様が現われた尊い場所だと伝えられています。
全国的に見ても石造多宝塔の優れたものは少なく、重要文化財に指定されているのは2件だけです。代々の住職たちの石塔や、小さな五輪塔・宝篋印塔などがこの石造多宝塔を守るように並んでいます。

安楽寺

安楽寺開山と信濃出身の樵谷惟仙

安楽寺開山と信濃出身の樵谷惟仙

安楽寺は信州では最古の禅寺です。安楽寺の存在が歴史的に裏付けられるのは、鎌倉時代、実質的な開山である樵谷惟仙(しょうこくいせん)が住してからです。樵谷惟仙は、信濃出身の臨済宗の僧で、13世紀半ばに宋に留学し、蘭渓道隆(鎌倉建長寺開山)が来日するのと同じ船で1246年、宋より帰国し、安楽寺を臨済宗の禅寺として開山しました。2代住職の恵仁は宋の人で、やはり樵谷惟仙が日本へ帰国するのと同じ船で来日しました。
日本最古の本格的禅寺といわれる京都の建仁寺が1202年の開創であるので、それに遅れることわずか44年で、この信州塩田平という小さな盆地に禅寺が営まれたことになります。

安楽寺八角三重塔は長野県で最初の国宝!

安楽寺八角三重塔は長野県で最初の国宝!

昭和27年に長野県で最初の国宝に指定されました。建立年代は鎌倉時代末期から室町時代初期までと言われてきましたが、調査の結果少なくとも1290年代(鎌倉時代後期)には建立されたことが明らかとなり、わが国最古の禅宗様建築であることが証明されました。この塔は日本に現存する唯一の八角塔であるとともに、全体が禅宗様で造られた仏塔としても稀な存在です。

北向観音堂

北向観音堂

珍しい北向きの本堂

厄除観音として知られる「北向観音堂」は、平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁により開創された霊場です。本堂が北向きなのは、国内でもほとんど例がないようです。本尊である絶対秘仏の千手観音菩薩像も北に向けて安置されており、南面の善光寺の阿弥陀如来に相対しているそうです。
北向きの由来は、観世音菩薩出現の際、「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」というお告げによるものといわれています。

「片参り」の本当のいわれ

「片参り」の本当のいわれ

北向観音についてよく知られるのが「南向きの善光寺に対して北を向いているのだから、両方にお参りしなければ『片参り』だ。」という謂れです。本当は地理・方角的な理由ではないのです。
善光寺は「未来往生」を願い、北向観音は「現世利益」を願う場なのです。現世と来世の両方の幸せを願わなければ「片参り」だ。というのが本当の理由です。こんな訳を知った上で改めて今の世の幸せをお祈りください。

ほかにもまだある!歴史の寄り道

大湯薬師堂

大湯薬師堂

薬師堂は弘安4 年(1281 年)清誉玄斉大徳の開基。堂内には本尊の薬師如来像をはじめ十二神将像、歴代住職の位牌、祖師像と上田藩主仙石政俊公の位牌が祀られています。境内山腹には天正年中(1573~91 年)に創設と伝える「温泉社」があり5 基の石祠の1 基に七久里玄斉霊神と刻まれています。

七苦離堂(常楽寺建立)

七苦離堂(常楽寺建立)

別所温泉は、大昔から、七久里の湯と呼ばれてきました。七久里とは、日本武尊が東国征伐の帰り道、七ヵ所の温泉を開き、入浴されて、七つの苦難 から解き放たれるという「七苦離の湯」と名付けられたことによるものとされています。

中禅寺薬師堂

中禅寺薬師堂

本尊の薬師如来座像、神将像とともに国の重要文化財に指定されています。鎌倉初期の創建とされ「方三間宝形作り」という様式で建築されています。約八百年前の長野県最古の建物であり、中部日本を通じても最も古いといわれる遺構です。また正面仁王門に安置されている金剛力士立像は12世紀末頃制作されたと推定される木像(高さ約207cm)で当時代の制作された数少ない金剛力士像として長野県県宝に指定されています。

前山寺

前山寺

弘法大師が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させたという前山寺は、塩田北条氏の祈祷所ともなりました。境内には、二層目と三層目に縁と勾欄(こうらん)がないため「未完成の完成塔」といわれる国の重要文化財・三重塔があります。藤をはじめ数々の花の名所としても知られています。