別所温泉の歴史

古い歴史とともに、絶えまなく湧き続けて来たのが別所の温泉ですが、資料が残っている範囲では、別所の温泉は九世紀になりようやく出現しています。それ以前、つまり古代別所の温泉に関する歴史をひもとくには、あまりにも資料が少ないのが現状ですが、出湯と人とのかかわりは、夫神岳の麓から古代の布目瓦が多数発掘されたことによっても、その古さが想像されます。

歴史からひも解いてみる別所温泉

国造や国府の所在していた古代から、庶民の安息療養の場所であり、また温泉の効能と医薬信仰が、やがて仏教の霊場としての北向観音堂となったであろう。
別所の温泉は昔から”七久里の湯”と呼ばれたといわれ、平安時代の有名な和歌集にもその名をとどめています。
また、「東山道」と「万葉集」の一端から別所の温泉を多くの人々が利用したであろうと予測できます。
別所温泉(七苦離の温泉)の知名度は東山道に負うところが大きいと考えられます。
近江(滋賀県)から東北までの「道」といいながら、東山道の沿線各国は中央集権の行政区となっており、多くの役人、商人、防人、旅人が往来していました。
その沿道にある別所の温泉は、これらの人々の旅の疲れを癒す憩いの温泉として、都をはじめ各地に知られるようになりました。
多くの人々の行き来は万葉集から読み解くことが出来き、長短含めた歌は約4,500首といわれその世代を読み取るには格好の材料です。
万葉集は800年前後に成立したといわれ、それ以前の450年間に亘る大和を中心に東国から筑紫までの広い地域を舞台に、天皇、貴族、一般庶民までの作者による歌であり、都で編纂された万葉集に当県近隣に関する歌が取り上げられており、県内には信濃ゆかりの万葉歌の歌碑が50余基もあることに驚きます。
これらから別所温泉に多くの人々が往来したことが容易に想像することができ、それが「清少納言」の「枕の草子」につながって来たのでしょうか。
数ケ所の湧出口のうち、石湯・大師湯・大湯など、昔から由緒のある名湯は共同浴場として今も土地の人々に親しまれている。

別所の歴史